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日没 [随想]

小~中学生の頃に過ごした町というのは、西方向に大きな山や建物がないところでして。特に中学校は、夕刻には平野の向こう側に太陽が沈むのを丘の上から眺められる…という、なんとも贅沢な場所にありました。向こう1~2ヶ月で話題に出てきます「平野の夜景」「高速道とインターチェンジの横にて」「丘の上の学舎の唄」「4番通りの横で」あたりの作品は、この中学周辺という、概ね半径200mの範囲という狭いところで生まれたわけなのです。「arena」も然り。
一方、この「日没」の舞台は町の外れでなく、あくまでも町の中心で着想したもの。「夕方の通学路」「サーモンピンクの空」「東ニュータウン」あたりの作品に出てくる、別の概ね半径200mの領域。「朝の時間」もそう。
ただ、曲全体のイメージを膨らませたのは数年後、日本最東端の岬に旅行に行ったのち、夕日に向かって走るバスの車中、運転席の後ろから見たもの。即ち、バスは納沙布岬から根室市街に走っている…方角の関係、イメージして頂けますかね。

中島みゆきさんの曲の「断崖ー親愛なる者へー」もしくは「親愛なる者へ」の歌詞も、実は「『風は北向き』≠北風」であることに引っかからずに解釈すべしというネタがありました(「おいしい中島です」(「ジャパニーズ・スマイル」所収)が、自分がどの立ち位置に居て、どちらを向いているのか…というのは、実生活の中だけでなく、実は歌詞の中でも、わりと大切であることは間違いありません。
#『風は北向き』は、実は中島さんの勘違い説を唱えている方も少なくないみたいですが

(作品番号8、1985年)
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全科大百科 [随想]

勉強ネタ再び。
小学1年生の早いうちから6年生の秋まで珠算をしておりまして。最初の2年間はスムーズに級が上がったものの、3年生からとんと昇級しなくなり、3級以降は3回受けてようやく年に1級上がるといった感じで、6年生の秋に珠算を辞める挨拶をしに行き(同日に準段合格が判明)、翌日からはそろばんに全く触らないまま30年余が過ぎ今日に至るのでした。

数の概念が頭の中で完成する前からそろばんに触れていたので、暗算は決して苦手ではなく、開平・開立(ルート計算)はむしろ好きでして。応用計算(商法)は漢字が読めないことから自分でも塾の先生もハナから期待していず(ここら辺は、商業高校の生徒さんが暗算は苦手で応用計算が得意というのと真逆ですな)。キモは見取算と伝票算、この2つだったわけで、これで試験を落ちることが多かったため、祖母からも母親からも叱咤激励されつつ、まさに何度泣かされたことか、小学生時代の苦い想い出であったわけです。

そんなわけで練習不足とか自分の限界とか、自分を責める気持ちが続いていたのですが、ここ数年の珠算教室の練習法は「フラッシュ暗算」というものらしく。先日に第一線から退いたイチローさんよろしく、動体視力を鍛えることが有効だそうで。
神経領域の仕事に携わっている現在の視点からみると、たぶんある一定の水準=級なり段位からは、本人の努力以上に、動体視力なりあるいは指先の巧緻運動なりといった、既に神経心理学の領域で適性が規定されてくる、いわばスポーツと同じ分野ということになるのでしょうね。市の大会(あるいは「塾グループ主催の珠算大会」)で上位に食い込めても、プロ野球選手(あるいは珠算10段保持者)にはなれないかもしれない、ということですよ…。

「努力は評価されるべきなのですが、でも努力は報われないかも」ということは、子供の頃にまなんだことでありました。

(作品番号7、1984年)
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