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夕方の町・通学路 [随想]

よくある吹奏楽曲の批判に「音を無駄に重ねすぎ」というのがあるようでして。確かに某社のJ-Pop編曲作品だと音が過剰に重なりすぎ、J・スウェアリンジェンも確かに重ね気味。
でも、かつて後藤洋氏が指摘されていたように、スウェアリンジェン先生の作品は概ねアメリカの音楽授業用という教育的役割がある(なので乱暴に吹くと音が濁るだけで、TKWOの模範演奏のような緊張感が生まれない)。J-Popの編曲もNSBだと緻密(もちろん楽譜の価格もお高め)。A・リード神の作品はクライマックスが得てしてどんちゃん騒ぎになるけどやはり細かく計算されている(なので、エル・カミーノ・レアルなりアルメニアンダンスパート1なりロリの歌なりは乱暴に吹くと以下同文)。

そんなわけで、どっぷりと吹奏楽部に居た頃の作品は、やはり素人が作ると音が重なりすぎになるのであります。ヴォーカルを引き立たせずに伴奏が自己主張する悪例ですねえ。好きなんですが。。。(のちの「悪友」とかもオブリガートを乱用しすぎ)
(作品番号20、1988年)
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